| 応援に見る早慶戦の100年間 |
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| 明治36年 |
秋、第一回早慶戦が行われる。 |
| 明治38年 |
早慶第三回戦に野次将軍こと吉岡信敬が約200名余りの応援団を組織し、エビ茶に白く「WU」と抜いた応援旗を打ち振り「フレー・フレー・ワセダ」と声を張り上げた。これが早稲田のみならず日本で最初の組織的な応援の始まりである。
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| 昭和 4年 |
早慶戦で初めて‘W‘の人文字が学生席に描かれる。 |
| 昭和 5年 |
・初めて本格的な旗の登場。これ以後、旗手が存在する。
・内外野を連絡する電話が考え出され、内外野の応援をまとめる事に成功。
・この頃より紋付、羽織袴、高歯(下駄)をやめて学生服を着ようという事になり始める。慶應、明治に続き、この年から試合当日は学生服を着るようになる。
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| 昭和 6年 |
・6月13日、早慶戦第1回戦にて新応援歌「紺碧の空」が初めて神宮にこだました。
・10月18日、早慶戦第1回戦にてえんじと白の紺碧の空歌詞カードを応援用具として使用。
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| 昭和 8年 |
10月22日、リンゴ事件が起きる。 |
| 昭和22年 |
早慶戦にて、W字に‘カテ‘の人文字が出現。 |
| 昭和25年 |
春季早慶戦、学生席に始めてデコレーションが登場。 |
| 昭和29年 |
春季早慶戦、学生服着用を指示して白ワイシャツにてくっきりと‘W‘と‘K‘の人文字が浮かぶ。 |
| 昭和35年 |
・春、慶應に赤、青のトンガリ帽子がデビュー。
・慶應、初めてバトンガールを応援に登場させる。 |
| 昭和38年 |
・春季早慶戦、放送研究会の女性がバンド演奏の司会で登場。初めて指揮台に上がった女性に。
・秋季早慶戦、部員自作のデコレーション登場。 |
| 昭和39年 |
・春、エールのテンポを遅くした。
・秋季早慶戦、指揮台に色をつける。 |
| 昭和40年 |
コンバットマーチの発表。 |
| 昭和43年 |
この年より、早慶讃歌が歌われる。 |
| 昭和45年 |
秋季、バトントワリング研究会が早慶戦に華を添える。 |
| 昭和48年 |
春季早慶戦、Wのかぶとをかぶって応援。 |
| 昭和51年 |
春季早慶戦第1回戦、ビバ・ワセダを発表。 |
| 昭和53年 |
春、タイムリーマーチが、秋にはダイナマイトマーチが発表される。 |
| 昭和59年 |
大進撃が使われる。 |
| 昭和62年 |
春季早慶戦、人文字用に応援用具に大きな裃を加える。 |
| 平成 5年 |
早慶戦90周年。新応援歌「Blue Sky Waseda」発表。慶應と共通の歌詞が話題を呼ぶ。 |
| 平成19年 |
早稲田創立125周年。新応援歌「早稲田の翼」、「早稲田の詩」を発表。 |