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昭和六年 作詞   住 治男
作曲 古関 裕而
一.
紺碧の空仰ぐ日輪
光輝あまねき伝統の下
すぐりし精鋭闘志はもえて
理想の王座を占むる者我等
早稲田 早稲田 覇者 覇者 早稲田

二.
青春の時 望む栄光
威力敵無き精華の誇り
見よこの陣頭歓喜あふれて
理想の王座を占むる者我等
早稲田 早稲田 覇者 覇者 早稲田


 当時早慶野球戦における早稲田の成績は惨憺たるものであった。昭和二年、三年と慶応に全敗、四年は三勝三敗であったが、五年は春秋四連敗を喫するという不成績であり、血気盛んな応援団は切歯扼腕(せっしやくわん)する状態であった。一方、慶応は腰本監督が采配をふり、文字通り野球部の黄金時代であった。その上、米国留学から帰国したばかりの堀内敬三氏が作った応援歌「若き血」(昭和二年作)が野球部の好成績とあいまって一世を風靡していたのである。
 昭和六年四月、この沈滞したムードを打破するために広く学生から歌詞を募り、若々しい気分を盛り込んだ、第六応援歌を作ることにした。早速、応援団は学内の掲示によって歌詞の募集を行った。その結果、選者の西條八十教授は、約三十編の応募作から高等師範部三年住治男の詩「紺碧の空」を一字に修正もなく選んだのである。
 ところが、作曲者については議論が百出し、「若き血」を圧倒する力強い歌をと検討を重ねたが、時のリーダー長伊藤戊の推薦によって、彼の幼な友達の日本コロムビア専属の古関裕而氏に白羽の矢を立てた。しかし作曲者が古関氏と決まるまで、かなりの日数を要した。初めのうち古関氏に反対者が多く無駄な空白時期があったのである。当時、古関氏はまだ二十一歳の新進であり、新民謡、童謡を中心に創作していたほぼ無名に等しい作曲者であった。しかし、大学からの依頼に感激し、応援歌を作曲できることに大きな誇りを感じ、青春の血をこの一作にかたむけ、四月末ついにこの曲を作り上げた。作曲自体は難航せず、一週間ぐらいで出来上がった。
 この曲を得た応援団は早慶戦を目指し、六月八日から連日、大隈講堂で古関氏自身も加わっての歌唱練習を続けた。そして青山会館において松井翠声、渋谷のり子、和田肇、徳川夢声の諸氏の出演によって、披露が盛大に行われた。六月十三日から行われた春の早慶戦でデビューした「紺碧の空」は、野球部を奮い立たせ、伊達正男投手の三連投、三原脩逆転のホームスチールを呼び、今までの不振を一気に挽回したことから一躍評判となった。今や学園の第一応援歌としてゆるぎない評価を受けている。

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掲示責任者 / 早稲田大学応援部  君野 太郎(社学4)